伝説のナイトクラブ“ニューラテンクォーター”の秘蔵ライブCD/大場 アキヒロ

「伝説のナイトクラブ“ニューラテンクォーター”の秘蔵ライブCD」
昭和の終わりに社会人になった筆者は、勤務先が東京赤坂・溜池の交差点近くにあった。外堀通りを溜池交差点から赤坂見附方面に行くと、右手にホテルニュージャパンがあった。ホテルの脇に地下で営業していた“NewLatin Quarter”(ニューラテンクォーター)のネオンサインが掲げられていて、前を通る度に派手なネオンに目を奪われていた。

▲ニューラテンクォーター)のネオンサイン
ナイトクラブかキャバレーかと思っていたが、いずれにしても自分とは縁のない世界と思っていた。あとで知ったことだが、ニューラテンクォーターにはかつて多くの一流海外アーティストがこぞって出演しており、実は彼らのステージの一部が店側で録音されており、後年それらがCD化された。このコラムではCD化された秘蔵音源について記したい。
そもそもニューラテンクォーターとはどのようなナイトクラブだったのか。ライブCD入手と同時期に2冊の関連する書籍も読んでみた。『昭和が愛したニューラテンクォーター 』と『東京アンダーナイト “夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』。
▼2冊の関連する書籍
ともに社長だった山本信太郎さんの著作。まず、ニューラテンクォーターの前身のナイトクラブから紐解かなければなるまい。店名に“ニュー~”と謳っていることから分かるように前身の“ラテンクォーター“が同じ場所に存在した。終戦後、米兵慰安目的で開業したナイトクラブだったが、昭和31年(1956)に火災で全焼してしまった。その後、同じ場所にホテルを建設することとなり、地下には海外の賓客や国内の富裕層、著名人をもてなす社交場として昭和34年(1959)、ニューラテンクォーターが開業した。運営は九州のキャバレー王といわれた山本平八郎が社長となり、平八郎の長男の信太郎は副社長として加わった。開業時のこけらおとしはメキシコのラテン音楽グループのトリオ・ロス・パンチョス。以後、海外の有名アーティストを次々に出演させ、伝説的な大人の社交場となった。主な出演者にはトリオ・ロス・パンチョス以外にも、ルイ・アームストロング、ナット・キング・コール、ジュリー・ロンドン、ダイアナ・ロス、パティ・ペイジ、サミー・デイヴィスJr.、コニー・フランシス、ローズマリー・クルーニー、パット・ブ ーン、ベ ニ ー・グッド マ ン、ハリー・ジェームス楽団、トニー・ウィリアムズ、ヘレン・メリル、ザ・プラターズ、アール・グラント、ニニ・ロッソ、カーメン・キャバレロ、トム・ジョーンズなど錚々たる出演者であった。専属司会者にE・H・エリック。日本の芸能人もステージに立っており、石原裕次郎、勝新太郎、森進一、朝丘雪路、いしだあゆみ、五木ひろし、西城秀樹らに加え、ピンク・レディーも人気絶頂期に出演している。昭和50年代に入っても営業を続けていたが、昭和57年(1982)2月、ホテルニュージャパンの火災事件が発生、ホテルは営業停止となるもニューラテンクォーターは営業を継続していたが昭和64年(1989)、閉店となった。
話をライブCDに戻すと、CDの元となった音源は山本信太郎社長の個人的な記録としてオープンリールテープ37本で収録されていたものであり、それらが約50年後に発見され、約25人のアーティストのステージが2013年にCD化された。伴奏はハウスバンドである海老原啓一郎とロブスターズが担当したが、アーティストによっては原信夫とシャープ&フラッツらが務めたり、ストリングスが加わるケースもあった。
これらのCDを聴いてみての感想をいくつか。席数300のため、大ホールでの公演に比べ全体的に客の拍手が少なく聞こえるのだが、ローズマリー・クルーニーのステージでは開演時の客の拍手が少なく、舞台袖で登場をためらっている彼女を察して司会のE・H・エリックが「どうぞ皆さん拍手でお迎えください」と客席に拍手を促す場面がある。このようなシーンはナイトクラブでの公演だからこそかと。
ナット・キング・コ ー ル は2回目の昭和38年(1963)来日のステージがCD化。
お馴染みのスタンダード“オータム・リーブス(枯葉)”、“ラブ・イズ・ア・メニー・スプレンダード・シング(慕情)”では日本語での歌唱も披露。ピアノも聴かせてくれており、1960年のラスベガス・サンズホテルでのライブ 盤「At TheSands」を彷彿とさせてくれる。ジュリー・ロンドンは2回来日しているが、CD化されているのは昭和39年(1964)の初来日時。

独特のアンニュイな雰囲気が魅力だが、この時37歳で妖艶な魅力いっぱいのステージがCDからも伝わってくる。途中、夫君のボビー・トゥループ(p、vo)も参加し、小粋な歌声を聴かせてくれる。ジャズ系ではルイ・アームストロングやハリー・ジェームス楽団がCD化。ハリー・ジェームス楽団はdrにバディ・リッチが加わり充実の演奏を披露している。ベニー・グッドマンも昭和39年、ニューラテンクォーターのステージに出演している。この時グッドマンはカルテットで来日し、厚生年金会館での一般公演はレコード化されている。グッドマンのディスコグラフィでは厚生年金会館での公演とそのライブ盤についての記述はあるが、ニューラテンクォーターへの出演については触れられていない。グッドマンのステージはCDにふくまれておらず是非CD化してほしいと望んでいる。
CD化されたどのアーティストも脂の乗り切ったステージを展開しており、かつ日本のナイトクラブでのライブとなればどれも興味深く、それらの音源が残っていたことは奇跡に近い。ニューラテンクォーター無き現在、一般人は踏み入ることができなかった別世界の大人の社交場を垣間見れることは、当時は縁がなかった我々にとっては貴重である。2013年のCDリリース時、“Vol.1”の表記があったので続編のリリースを期待していたが、その後のリリースはない。今からでもVol.2のリリースを期待したい。
音友レコード倶楽部Report 特別寄稿(Mマガジン2024年4月号より)