今回はグレン・ミラー楽団を取り上げてみたい。ジャズ好き、ビッグバンド好きでなくとも“イン・ザ・ムード”“ムーンライト・セレナーデ”“真珠の首飾り”らの曲は一度は聴かれたことがあると思う。日本人はグレン・ミラーが好きなのだ。アメリカ本国の正規グレン・ミラー楽団は年末になると来日し、1ヶ月間に渡って全国30ヶ所を廻るツアーを毎年行なっている。この2年ほどはコロナ禍の影響で来日公演は中止になっているが、1964年の初回公演より50回以上に渡って来日公演を行なっているのだ。このような国はアメリカ本国以外では日本だけてある。スイング時代のビッグバンドにはミラー以外にもベニー・グッドマン楽団、カウント・ベイシー楽団、デューク・エリントン楽団らの有名なバンドも多く存在するが、日本人にとってはグレン・ミラーは別格なのだ。グレン・ミラーが日本人に人気なのは、映画「グレン・ミラー物語(The GlennMiller Story)(1953年)」のヒットのお陰といえる。そもそもミラー楽団はスイング時代のビッグバンドとしては遅咲きで、1937年に最初のバンドを結成したが人気が出ず、1939年にバンドを再編し、キラー・ディラー・スタイルと呼ばれるクラリネットリードのアレンジ演奏で人気が爆発した。当時の音楽雑誌ではバンドの人気投票でスイングバンド部門とスイートバンド部門があったが、ミラー楽団は両部門で上位にランキングされた数少ないバンドであった。ところが人気絶頂の1942年にミラーはバンドを解散して軍隊入りを表明した。入隊した陸軍航空隊にて「アーミー・エアフォース・バンド」を結成、慰問演奏やラジオ出演を続け、1944年バンドごと英国に渡ってBBCから演奏を電波にのせて欧州大陸に放送した。BBCからの放送ではナチス・ドイツ向けのプロパガンダ放送もあり、歌詞をドイツ語に変えたり、ミラー自身がドイツ語で喋る放送もありこれらの放送はのちにレコードで聴くことができる。1944年12月15日にイギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた航空機(ノールダイン社輸送機UC-64)がイギリス海峡上で消息を絶ち帰らぬ人となった(最終階級は少佐)。考えてみると、こんなドラマチックな人生を映画化しない手はない。「グレン・ミラー物語」ではミラー役にジェームズ・ステュアート、妻ヘレンはジューン・アリソンが演じた。ジェームズ・ステュアート、ジューン・アリソンの夫婦役は他に2本あり「甦える熱球(1949)」、「戦略空軍命令(1955)」、どの映画もこの二人が演じる夫婦の形が美しい。「グレン・ミラー物語」は日本でもヒットし、あらためてグレン・ミラーが認知され、彼の音楽のファンが増えたのだ。1985年の第1回東京国際映画祭のゲストでジェームズ・ステュアートが来日した際、彼の出演作から「グレン・ミラー物語」が上映されることになり、渋谷公会堂に見に出かけた。上映終了後、ステュアートがステージに登場し、映画の余韻と相まって万雷の拍手だったことを覚えている。
グレン・ミラーに関する映画というと通常「グレン・ミラー物語(The Glenn MillerStory)」になるが、実はミラー本人と楽団が出演している映画が2本ある。「SunValley Serenade(1941)」、「Orchestra Wives(1942)」である。「SunValleySerenade」は戦後、昭和21年に「銀嶺セレナーデ」(写真?)として日本でも公開されたが、その後リバイバル上映もなく「Orchestra Wives(オーケストラの妻たち)」は日本未公開である。この2本の映画はテレビでも放送されることもなく、グレン・ミラー・ファンにとって長い間幻の映画となっていたが、40年ほど前、アメリカでVHSテープで「Sun Valley Serenade」が発売され、当時輸入ビデオで日本にも入ってきて購入した。このビデオを見て、『動く』グレン・ミラーに感動し、また、オリジナル・ミラー楽団が演奏する“イン・ザ・ムード”“チャタヌーガ・チュー・チュー”などはその後の跡継バンドの演奏や「グレン・ミラー物語」でのサウンド・トラックとは比較にならないくらい素晴らしく、演奏シーンは繰り返し鑑賞した。「Orchestra Wives」も市販され、その後、Laserdisc、DVDも発売され、結局全て購入してしまった。現在インターネットでもその一部は見ることができるので是非、オリジナル・グレン・ミラー楽団の演奏を堪能いただきたい。第二次大戦終戦後に正式にミラーの戦死の発表がされ、暫くして「SunValleySerenade」「Orchestra Wives」を制作した20世紀FOX映画にてミラーの伝記映画制作の話が持ち上がったが結局実現せず、1953年の「グレン・ミラー物語」まで待つこととなる。
ユニバーサル映画「グレン・ミラー物語」の音楽担当はジョセフ・ガーシェンソンとヘンリー・マンシーニ である、劇中の音楽演奏は後のグレン・ミラー楽団ではなく、ジョセフ・ガーシェンソン指揮 ユニバーサル・スタジオ・オーケストラの演奏である。ジョセフ・ガーシェンソンは音楽監修、指揮者で「スイート・チャリティ(1969年)」など映画82作品に携わっている。一方“ティファニーで朝食を”“シャレード”“ピンクの豹”“子象の行進”“ピーター・ガン”など数多くの音楽で皆さん良くご存じのヘンリー・マンシーニはテックス・ベネキーのグレン・ミラー楽団にアレンジャー兼ピアニストとして在籍をし、この映画では劇中で、「グレン・ミラー物語」のための“愛のテーマ(Too Little Time)”を書いている。トロンボーンの優美なソロメロディーで歌いあげる優しさのある綺麗な曲である。後にドン・レイが歌詞を付けたがトロンボーン演奏が多く歌としての演奏は数少なく大御所のサラ・ヴォーンなどが歌っている。グレン・ミラーほど、多くのコピーバンド、コピー演奏があるバンドはない。現在に続くグレン・ミラー楽団を含めて、残念ながらオリジナル・バンドのサウンドには及ばない。「ミラーサウンドはオリジナル・バンドにしかない」とおっしゃる方もいる。コピーバンド、後継ぎバンドの宿命でもあり、オリジナルを超えることはないのだ。このようなことを書いてきたらまたグレン・ミラーが聴きたくなった。オリジナルで聴くか、再演物で聴くか。(大場アキヒロ・記/Mマガジン4月号掲載)