時折考えるのですが、“いい曲”の定義とは何でしょう。”心に響く”や”ノスタルジック”など感覚的なものもあれば、メロディーや歌詞など構成している要素によるものもあるでしょう。当然一つに絞るものでもないし、人それぞれ好みや意見も違うと思いますが、私はその定義の一つに”ぐっとくる”箇所があること”だと考えています。
ではその”ぐっとくる”とはどういう感覚なのか。改めて言葉にしようとすると難しいのですが、私の場合はなぜかその箇所が気になってしまう、立ち止まったような感覚になる、これまでの流れと違う変化を感じる・・・といったところでしょうか。その感覚を、少しでも具体的にして自分のものにしたいと思い(大変烏滸がましいですが)、最近はこうやって言語化しようと試みている次第です。
さて本日は、ベートーヴェン「ソナタ悲愴第二楽章」についてです。ビリージョエルが「This Night」という曲でオマージュしていることでも知られています。ゆったりした4分の2拍子のこの曲、私がぐっとくるのは主題6小節目の2拍目、曲のキーAに対してコードF7とメロディーもAのナチュラルが使われている所です。ここまでの流れで本来であればコードはFm7でA_の音が使われるはずだと無意識に予想するので、この展開に驚かされます。そして再び9小節目から同じ主題なのですが、その直前の1拍だけ伴奏のリズムがノーマルの16分音符から3連符の16分音符になっています。ここのリズムチェンジも、「あれっ?」という感覚になります。とはいえほんの1拍だけなので曲が展開し忘れかけていた頃、終盤で再びテーマの伴奏が今度は全体的に3連符ベースになります。匂わせがえげつない!!あの時にいたあの子(8小節目2拍目の3連符)、実はこんなに強かだったのね・・・侮ってたわ・・・って気持ちになります。
ぐっとくる=イレギュラーなことが起きて、いい意味で予想を裏切る箇所なのかな、と自分では解釈しています。とはいえ、秩序があるからこそイレギュラーの演出が生きると考えます。奇を衒おうなどとは考えずに、基本から音楽に向き合うことが”いい曲”への王道ではないかと思います。
(Mマガジン10月号掲載より)