♪♪ ヨーロッパのミュージッシャン達 ♪♪
アメリカ大陸南部で発生したジャズミュージックは様々なスタイルの変化と共に全米各地に広がり、やがてヨーロッパ大陸に伝播して行く様になりました。
当初はアメリカジャズのコピーでしたが(日本のジャズも)やがて各々の国の文化や風土を反映したスタイルやミュージシャンが現れるようになりました。その後は自国で活動する人、ヨーロッパの風合いを残しつつアメリカジャズシーンで活動する人も沢山出て来ました。今月はその中の何人かのミュージッシャンのレコードを聴いて見たいと思います。
7月に逝ったジャズグレイト(2016年7月記)
★不世出のジャズシンガー〜ビリー・ホリディ〜(其の1)
今月はアメリカジャズシーンのビッグネーム2人の終焉の日が今年もやって来ます。
奇しくもその日は、7月17日。1人は希代のボーカリスト、ビリーホリデイ(エリノラ・フェイガン)。
好き嫌いは別にして客観的に見て悲惨な生い立ち、人生体験、ありのままの女ごころを歌に映し出した彼女は何時迄も私のフェバリットシンガーです。1959年7月17日ニューヨーク、メトロポリタン病院の廊下に放置されたままの黒い肉体、その人がビリーホリデイと判ったのは彼女が亡くなってからの事でした。時にビリー・ホリデイ44歳。
★走り続けたアングリーテナー〜ジョン・コルトレーン〜(其の2)
1950年代中頃ソニー・ロリンズの代役の様にマイルス・ディビスのコンボに入ったコルトレーンはお世辞にも上手いテナーマンでは有りませんでした。マイルスコンボでの日々のプレイ、トレーニング等の甲斐あってテクニック、スタイル共に急成長をとげやがて、ソニーロリンズの次世代リーディングテナーマンとして自己の音楽を追い求めて突き進む姿はまるで求道者を思わせる様でした。1964年インパルスレーベルに「ア・ラブ・シュープリーム(至上の愛)」をレコーディングした後アバンギャルドスタイルに向かうのでしたが1967年7月17日、日本公演の丁度1年後41歳の若さで不帰の人となりました。コルトレーンのアルバムはプレスティッジ、
ブルーノート、アトランティッ
ク、インパルス等のレーベルにありますが、インパルスレーベル後期の観念的プレイより50年代後期プレスティッジレーベルの素直なプレイを好ましく思います。他のレーベルのプレイが嫌いと言うのでは有りません。