つい最近のこと。書店で「東京ジャズ地図」というのが目に入り、手に取って開いてみると、昔ながらのスタイルの店は少なく、殆んどが夕刻からバー・タイムになる店で、“ジャズを肴に一杯”という具合で、これが今風なんでしょうね。さて、「ジャズ喫茶」の全盛期は1950年代中頃から60年代だったと思いますが、東京、横濱を合わせて60〜80軒を数え、全国で500軒以上有ったそうです。その多くはモダン・ジャズで、スウィング、トラッドを聴かせる店は極めて少なかったです。 そんな時代に昭和ひと桁世代から団塊世代あたりまでのジャズ・クレイジーは、概ね「ジャズ喫茶」に足を運び、熱心に聴いて育ったと云えるでしょう。当時の「ジャズ喫茶」というのは、世界に類のないと云われたジャズ・レコード鑑賞専門の喫茶店で、店主はシッカリしたポリシーを持っていまして、そとづら外面は偏屈と見られるが、ジャズを愛する心と情熱を内に秘めたコダワリ人間でしたね。ですから、客扱いもハッキリしていて“音楽そっちのけで声高にしゃべる”“知ったかぶりや理屈をやたらと振り回す”といったやから輩どもには「音楽を聴きに来たのでなければよそ余所へ行きなさい!」と追い出してしまう。そんな気骨のある店主には、心中で拍手を送ったね!!!
振り返ってみると、戦後いち早く開店したのは、東京・京橋の「ユタカ」、上野の「イトーコーヒー」、横濱・野毛の「ちぐさ」で、「ちぐさ」は昭和8年(1933年)に開店。店主の吉田 衛さんは終戦で戦地から復員したが、昭和20年5月の横濱大空襲で焦土と化していて、店もレコードも全てを失い、手を尽くしてやっと集めたSPとV-Discで昭和23年10月に再開したんですね。尚、戦前の昭和4年から13年に掛けて東京で12軒が次々と開店した記録が「ジャズ批評」(1967年に創刊した季刊誌)に掲載されたそうです。
*「ちぐさ」は吉田 衛(著) 『横浜ジャズ物語・「ちぐさ」の50年』より。
1950年から間もなくLP時代に入りましたが、輸入されるレコードの数は少なく、サラリーマンの月収が1万円そこそこの時代にLP1枚が月収の20%を超える額だったので、いち早く新譜を購入し、しかもコーヒー1杯(40〜60円)で何時間も聴かせてもらえたなんて、有難かったナー!!!
余談になりますが「ジャズ喫茶」と共に、50年代には昼間からコーヒー、ジュースで一流バンドの生演奏を聴ける店(今日のライヴ・スポット)がありました。銀座の「テネシー」、「不二家ミュージック・サロン」、三原橋近くの「ニュー美松」、銀座7丁目の「ACB( アシベ)」など。しかし、ウェスタンやロカビリーの流行に押されて、ジャズ・バンドは追い出されてしまいました。
★「ジャズ喫茶」で聴いた思い出のレコード・ジャケット