特別寄稿 ジャズ喫茶「ボロンテール」の想い出 / 藤田順治

Mマガジン2021年5月号特別寄稿の「私の一番お気に入りのジャズ喫茶」で『NARU、いーぐる、ファンキー』などのジャズ喫茶のお話をしたが、先日「音友レコード倶楽部」スタッフとお話しをしていた時に共通のジャズ喫茶(バー)の話題で盛り上がり今回はそのお店について触れてみようと思う。その喫茶店の名前は『ボロンテール /VOLONTAIRE 』。現在は赤坂に店を構えているが以前は原宿(神宮前)に合ったお店で坂之上兄弟が経営している。このお店の特色の一つ目は昼が喫茶店(弟さんの聡さんが担当)、夜がバー(ママと呼ばれているお姉さんの京子さんが担当)という2つの顔で営業している事、二つ目はジャズ喫茶(バー)といいながら店主と気軽にお話しができる事、三つ目は音響システムもターンテーブルはガラード401、カートリッジはオルトフォン、スピーカーは天吊りでjJBL-LE8T、アンプも同社SA660で再生し極めてコンパクトな店構えである事などである。特に原宿にあったお店は失礼な言い方だが、本当に狭くカウンターと奥に1つぐらいのテーブルがあるだけであった。逆に言うとそれだけお客さんとの間で親密にジャズ関係のお話しができる雰囲気を持ったお店であった。このお店との出会いは学生時代に私が所属していたビッグバンドの同期達と卒業後久しぶりに会い、どこか雰囲気の良い隠れ家的な喫茶店はないかと探していたところ、このお店に行きついたのである。明治通りを渋谷から原宿に行く途中のまさかこんな所にジャズ喫茶があるとは思いもよらなかった。当時のお店はらせん階段を上った2階にあり、大きなレコードの看板が目印であった。現在、赤坂の店でも看板は残っているがあの懐かしいらせん階段は存在しない。常連には作家の阿佐田哲也さんやイラストレーターの和田誠さんなどがいらしていた様で最初に伺った時に私も和田さんが描いたコースターを3枚程いただいた。また、トランペットのダスコ・ゴイコヴィッチや盲目のピアニストのテテ・モントリューの話で大いに盛り上がった事も記憶に残っている。京子さんがジャズ関係のコーラスグループに所属しているという話もこの時に聞かせていただいた。ちょうどこの頃、店舗周辺道路の区画整備の話があり、移転するかどうか思案中という話であった。程なくして私のところに赤坂への移転の案内ハガキが届き、裏に和田誠さん直筆によるチャプリン作曲の“スマイル”の譜面が描かれていた。その後、赤坂のお店にも何回かお邪魔したが、原宿時代のお店のイメージが強すぎてその後は行っていない。相変わらず、京子さんの暖かく人懐っこい会話はこのお店に来る人達を和ませている様である。最後に京子さんに関するほのぼのとしたお話を「音友レコード倶楽部」スタッフの方よりお聞きしたのでここに併せて掲載しておこうと思う。1986年9月、『ボロンテール』ママこと坂之上京子さんは来日公演中で『富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル IN JAPAN』に参加していたマキシン・サリヴァンを迎え、ジャズ&オーディオ評論家の小川正雄さんをはじめ、著名な『ボロンテール』ファンの協力を得て、日本の一流ミュージシャンとの共演を企画した。9月29日『CONCORD JAZZFESTIVAL』の空き日に開催の運びとなり、司会はいソノてルヲ、バックを務めるミュージシャンは日本側から唄伴奏に欠かせないピアニストの小川俊彦に加え、五十嵐明要(as)、青島信幸(b)、原田勇(ds)という強力なカルテットによるステージをライブスポット『BOSS』(渋谷タワーレコード地階)で行った。開演1時間前のリハーサル中に開場した為、入場者は30分に及ぶリハーサルを含め全てを聴くことができた。マキシン・サリヴァンは75歳に達した上品な老母という印象だったが、ステージでは凛とした姿で2ステージ全22曲を見事に唄い上げ、坂之上京子さんからの花束を受けながら、共に涙を浮かべて抱擁していた事が今でも私の記憶に残っている。(藤田順治・記/Mマガジン4月号掲載)